さかな食堂

近況報告です。なんか作ったりどっか行ったりしたことを書ければいいなぁ。

わがままについて

仕事をするということは、わがままでいるということが許されません。自分のために、保身に動いているのがばれると糾弾されますし、大抵の場合それはばれます。大抵の人がそういう感情に覚えがあるからでしょう。

だからこの1年半、保身を考えそうになる場面でことごとくその考えを砕き、すり潰し、排斥する、という作業を折りに触れてやっていた記憶があります。

これはやりながら毎回、なんて人間的でない作業なんだろう、と呆然とします。頭で納得し、実際にこれを行動に浸透させるまでにかなりの戸惑いが生じます。周りの先輩がみんなこれを少なからず経験してきていて、だから私もやっているのだと思うのですが、正直、これが本当にやらないといけないことなのかどうかの疑問はいつまでもぬぐえません。仕事とはこれだけのことをしてまでやるべきことなのだろうか、と頭の片隅の見えないところで炎症が起こっているのを感じます。本当にそれだけ、人間的から反対を行く作業だと思います。

 

その反動というのか、日常生活では意識しないうちに我を通そうと必死になっている気がします。

判断を疑われる、というのはとても恐ろしいです。信じられていないのだな、と思うと腹立たしいし、悲しいし、なんでなんだ!と叫びたくなります。

私も私なりに考えているし、その結果導き出した答えに沿って行動しているのに、どうしてそんな疑うの、と。

そして後で冷静になって考えてみると、それはつまり考えが足りてないということなんだと気づくんですね。及んでいない、足りてない、方向が間違っている、なんらかの理由によって、言われていることを満たせていない。そういう、自分ではこれで落としどころがついている、と思っていた考えが、誰かによって間違っている!と暴かれるという構図のなんと不可思議なことだろうなと感じます。

いつの間に私はその誰かと同じ一点を目指すことになっていたのだろう、と。

これがつまり仕事では暗黙の了解になっているのでしょう。言わなくてもみんな同じ目的に向かっていかなきゃいけないことになっていて、そこから外れる行為、気づかずに外れてしまっている行為は非難していいことになっている。

これをそのまますんなり受け入れられる人と、そうでない人といると思います。私はどちらかと言うと後者です。

 

どこまでをわがままと言うんだろうなぁ、とかそういうことを考えます。